デザインの仕事をしていると、「ゼロから設計する」という言葉をよく聞きます。でも私は、ゼロから何かを作るということが、本当の意味で存在するのだろうか、とふと思うことがあります。この記事では、その疑問から始まる、自分なりの「整える」という感覚について書いてみます。
ゼロから、は本当にあるのか
人が何かを作るとき、それは必ず、自分の中にある「こうであってほしい」という感覚の穴を埋めようとする行為だと思っています。真っ白なキャンバスに向かうときも、すでに頭の中には、何かへの手がかりがある。好きな色、心地よいバランス、これまで見てきたものの蓄積——そういうものが、作る手を導いていく。
もちろん、世の中には先進的な技術革新があり、誰も見たことのないものが生まれることがある。それは確かです。ただ、そこにたどり着く理由もまた、作る人の中にある何かへの衝動——満たされていない穴を埋めようとする力なのだと思っています。
だとすれば、新しいものも古いものも、出発点は同じなのかもしれない。あるのは、自分の中にある感覚の穴を、どういうもので埋めようとするか——その違いだけなのかもしれない、と思っています。
その穴を埋めるものが、新鮮な刺激なのか、穏やかな落ち着きなのか。新しいものを立ち上げる興奮によって満たされる人もいれば、すでにあるものが静かに整っていく感覚によって満たされる人もいる。私は、後者です。そういうことなのかな、と思っています。
すでにあるものを、ちょうどよく整える
すでにあるものを整えるとき、私がまずやるのは、「どこに違和感があるか」を言葉にすることです。余白が詰まっている、文字が大きすぎる、色が浮いている——感覚を言葉に置き換えると、どこに手を入れればいいかが、少しずつ見えてきます。
次に、「何を残して、何を動かすか」を決めます。すでにあるものには、作った人の意図や、これまでの経緯が積み重なっています。全部を変えるのではなく、残すべきところは残して、動かすべきところだけ動かす。その見極めが、整えることの核になります。
そして、少しずつ調整して、落ち着く場所を探す作業を繰り返します。一気に変えるのではなく、少しずつ手を入れて、画面を見返して、また少し動かす。この繰り返しの中で、ちょうどよい心地よさが、静かに立ち上がってきます。
新規の仕事も、整えることだと思っている
新規のロゴやウェブサイトを一から立ち上げることも、仕事の中には多くあります。けれどそういうときも、お客様はすでに、ご自身の言葉や歴史や大切にしていることを、しっかりと持っていらっしゃる。私はそれを受け取って、形にしていく。
真っ白な画面から始まっているようで、実は、お客様の中にすでにあるものを、ちょうどよく整えている。そう感じることが、新規の仕事でも多くあります。「ゼロから作る」のではなく、「その人の中にあるものを、外に出す」という感覚です。
ちょうどよさを、どうやって見つけるか
「ちょうどよい」というのは、曖昧なようで、実は繊細な感覚です。多すぎず、少なすぎず。強すぎず、弱すぎず。見る人が何も感じないくらい自然に、でも確かに心地よい——そういう場所を探していく作業です。
この感覚を養ううえで、私が大切にしているのは「見慣れた目で見ない」ということです。作業に没入しているとき、人はどうしても自分の判断に慣れていく。少し時間を置いて、新しい目で見直すと、「ここが少し重かった」と気づくことがあります。
また、引き算で考えるという習慣も、ちょうどよさに近づくための手がかりになります。何かを足すよりも、何かを取り除くほうが、全体が整うことは多い。これは本当に必要か、と問いながら、少しずつ削っていく。その先に、ようやくちょうどよさが現れてくることがあります。
見る人が「なんとなく使いやすい」「なんとなく読みやすい」と感じてもらえるのは、目立たない調整の積み重ねです。意図を持ちながらも、少しだけ引いて置く——その距離感が、ちょうどよさにつながっていくと感じています。
穏やかな落ち着きのほうへ
すでにあるものを受け取って、ちょうどよい心地よさに寄せていく。その感覚が、私の仕事の中心にあります。新しいものを立ち上げる興奮よりも、静かに整っていく手応えのほうが、自分には合っている。
それは優劣ではなく、自分の中にある穴が、どちらの感覚で満たされるか、というだけのことだと思っています。私は、穏やかな落ち着きのほうへ手が動く。この感覚を、これからも静かに磨いていきたいと思っています。




