先週の打ち合わせで、色見本を三枚、テーブルの上にパラパラと並べたときのことです。窓から差し込む午後の光がちょうど傾いていて、同じ赤でも、光の当たり方でまったく違う表情に見えました。「こっちの赤、少し朱色寄りにしてみましょうか」。そう言いながら一枚を光にかざすと、お客様が身を乗り出して、「あ、こっちです!」と声を上げました。あの瞬間の空気は、今でも指先のあたりに残っている気がします。
打ち合わせでロゴの色を選んでいるとき、写真のトーンをくるくると揃えているとき。気づけば、何十分も時間を忘れてしまうことがあります。画面の中で色をひとつ変えてみるだけで、写真の印象がふわっと変わる瞬間があって、その小さな変化に、お客様と一緒に思わず「おっ」と声を上げてしまうんです。「もう少しこの色を試してみましょう」「こっちの写真の方が世界観に合う気がします」。そうやって手を動かしながらデザインを詰めていく時間は、打ち合わせの中でいちばん楽しい時間だったりします。
ただ、こうして世界観づくりには何時間でも没頭できるのに、その先の売り先を探したり、営業の連絡を入れたりするところで、ふと手が止まってしまう方を、これまでたくさん見てきました。気持ちは、痛いほどよく分かるつもりです。実は私自身、デザインのお仕事をお願いしたい方に営業のメールを送ろうとして、画面の前で何分も固まってしまうことがあります。カーソルだけがてんてんと点滅していて、指先はちっとも動きません。「デザイナーなんだから、もう少し軽やかに送りなさいよ」と自分をこづきたくなる瞬間です(誰も代わりに送ってはくれないので、結局こづくのも自分しかいないのですが)。
この「後回し」には、はっきりとした理由があるように思います。世界観づくりは、自分ひとりで、誰にも否定されずに進められる作業です。色を選ぶのも、写真を選ぶのも、最終的に決めるのはお客様ご自身になります。一方で、売り先に連絡をしたり、営業をしたりすることは、相手の反応にさらされる作業です。「返事が来ないかもしれない」「断られるかもしれない」。そう考えると、送信ボタンの上でカーソルがぴたりと止まってしまいます。画面の向こうの相手の顔が浮かんで、指先だけがひやりと冷たくなる。あの感覚を、私も何度も味わってきました。
もうひとつの理由は、手応えの感じ方の違いです。世界観づくりは、いつまでもこだわれる分、終わりがありません。それでも「今日はここまで進んだ」という手応えは、画面を閉じる瞬間、きらきらとした達成感になって残ります。一方で、売り先のリストアップや、連絡、開催後のフォローといった仕事は、地味で、すぐには結果が出ません。連絡をしても返事が来るまで数日かかったり、リストを作っても、それがすぐ売上につながるわけではなかったり。そんなことの繰り返しです。まるで、しんしんと降る雪をただ眺めているような、じれったい時間が続きます。
けれど、実際にものが売れ続けているお客様たちを見ていると、共通しているのは、世界観づくりのセンスだけではありませんでした。この、地味で後回しにされがちな部分にも、世界観づくりと同じくらいの時間をコツコツと積み重ねていたんです。
好きなことに没頭する時間と、地味だけれど必要な作業に向き合う時間。この2つのバランスをどう取ればいいのか。実は、そこには具体的な考え方があります。
物販を軌道に乗せているお客様がやっている、地道な仕事の中身
「物販を軌道に乗せているお客様は、世界観づくり以外に何をしているのだろう」。そう思って観察していると、地味に思えるかもしれませんが、意外とシンプルな景色に行き着きます。
よく目にするのが、売り先をノートやスプレッドシートにザクザクと書き出している姿です。「どこで、誰に売るのか」を頭の中でぼんやり考えるだけで終わらせず、実際に手を動かして残しておくんです。書く項目は多くありません。施設や自治体、お店の名前。窓口の種類。担当者の名前は、わかれば十分です。あとは優先度くらいでしょうか。候補先の種類ごとに分けておくと、次に何をすればいいかが見えやすくなります。リストがぐんぐん育っていく手応えは、それだけで小さな励みになるものです。
そこから多くの方がつまずくのが、営業の場面です。「営業=売り込み」だと身構えて、電話を片手に深呼吸してしまう。あの肩のこわばりは、私にもよく分かります。デザインの仕事を探すときの自分と、まったく同じ顔をしているんだろうな、と勝手に親近感を覚えてしまうくらいです。それでも、実際にうまくいっているお客様のやり方を見ていると、拍子抜けするくらいシンプルな流れでできていました。
候補先には、まず「資料だけでも見ていただけますか」と一言送ってみる。それだけで十分なんです。送りっぱなしにはせず、1週間ほどしたら「ご覧いただけましたか」とそっとフォローする。反応があれば、実際に会って詳しい話を聞く。そこでの内容をもとに、初めて正式な提案や申し込みの話に進みます。この一連の流れを、あらかじめ「型」として持っておくと、営業への気後れはずいぶん軽くなるものでした。売り込むというより、順番に確認していくだけ、という感覚に近づいていきます。最初の連絡は、長い説明をする必要はありません。「資料だけでもご覧いただけますか」という一言で、もう十分なんです。
そして、当日を支えているのは運営です。在庫箱をよいしょと運び込むところから、もう仕事は始まっています。在庫がいまどれだけあるか、いつ発送するか、当日は何を持っていくか。こうした小さなチェックリストを、事前に紙1枚にまとめておくだけで、当日そそくさとバタつくことがぐっと減ります。地味で目立たない作業です。けれど、これが滞ると、どれだけ世界観が素敵でも、商品はお客様のもとに届きません。
最後に欠かせないのが、買ってくれた方をそのままにしないことです。「先日はありがとうございました、お役に立てていたら嬉しいです」。そんな短い一言で構いません。開催後や購入後にその一言を送り、次の機会をそっと案内する。この積み重ねが、次につながっていくんです。
世界観づくりに使う時間と同じくらい、こうした地味な部分にも時間を使えているかどうか。それが、物販が続くかどうかの分かれ目になっている気がしてなりません。
今日からできる、地道な仕事との向き合い方
ここまでの内容を、実際に手を動かせる形にしてみます。
まずやってみてほしいのは、直近1週間を振り返ることです。世界観づくりに使った時間と、地道な仕事(リストアップ・営業・運営・顧客フォロー)に使った時間を、それぞれ書き出してみてください。正確な時間でなくて構いません。「だいたい何時間くらい」で十分です。付箋やノートの隅に数字をザクザクと書きつけていくうちに、思っていた以上の偏りにハッとする瞬間があるかもしれません。多くの方は、ここで初めて、自分がどちらにどれだけ偏っているかに気づきます。
偏りが見えてきたら、地道な仕事を「小さな行動」に分解して、カレンダーやスケジュール帳に書き込んでみてください。「営業する」だけだと大きすぎて動きにくいので、たとえば、今週中に売り先候補を5件リストアップする、来週の火曜日までにそのうち2件に問い合わせの連絡をする、連絡した先には1週間後にフォローの予定を入れておく——というふうに、ひとくちサイズに切り分けてみるんです。こうして具体的な行動とタイミングにしてしまうと、「なんとなく後回し」が、もうできなくなります。
進めていく中で、つまずきやすい場面もいくつか出てくるはずです。連絡をしても返事が来ない。既読のつかない画面をぼんやり眺めていると、気持ちがどっぷんと沈みそうになります。それでも、もう一度だけフォローをして、それでも反応がなければ「保留」に回し、深追いはしません。忙しくて時間が取れないというときは、行動そのものをもっと小さくしてみてください。「5件連絡する」が難しければ、「1件だけ連絡する」に減らして構いません。何を書けばいいか分からず手が止まるときは、決まった言い回しを1つだけ用意しておき、それを毎回そのまま使い回してしまって大丈夫です。
そして、世界観づくりの時間にあえて上限を決めておくことも、私はおすすめしたいと思っています。たとえば「1日1時間まで」「今週はロゴの修正だけ」というように区切りをつけ、残りの時間を地道な仕事に充てる。そんなルールを、自分の中に持っておいてみてください。世界観づくりを我慢するということではありません。両方に、ちゃんと居場所を用意してあげる。そういう感覚に近いのかもしれません。
好きな作業に没頭できる時間と、地道な仕事に向き合う時間。その両方を持てたとき、素敵さと売れることは、きっと対立するものではなくなっていくはずです。
今日もどこかで、色見本を片手に頭を悩ませているお客様がいるかもしれません。あの日、光にかざした赤い色見本のように、迷いながら選ぶ時間は、そのままでいいんです。あとはほんの少し、地道な仕事にも同じだけ光を当ててあげてください。
